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外国人選手の移籍が目立ったのが大きな特徴。阪神を解雇後ヤクルト日本一の立役者となったオマリーの様な成功例がある一方で、ハウエル、ホールは散々。新設されたフロリダ・マリーンズでレギュラーからはみ出したデストラーデの西武復帰も余興で投手を務めたことが記憶に残る程度で半年で帰国した。 また1年間の台湾修行で腕を上げたチェコの活躍は、広島のドミニカ政策に注目を集める効果を生んだが、年俸で揉めた挙句2年目は半ば職場放棄で米へ遁走、「低コスト栽培の好例」か「帝国主義的植民地政策」かという論議の端緒となった。 リサイクル外国人で成功した野村再生工場は、オープン戦も半ばを過ぎた3月になって西村を放出。 交換相手の吉井は前年の小野に続く反鈴木分子と見られたが、結果は吉井がヤクルトのエース格にのし上がり、 年明けには野茂の不透明な米球界入りと鈴木監督休養を一歩早めたのみならず、近鉄球団の「阪神」化が憂えられた。 2年目のFAは6選手が動いたが山沖は1試合の登板もなく引退。石毛は「2億円の置物」と酷評された。 勿論、西武の健康管理体制を批判し目玉商品としてダイエーへ移った工藤の様な成功例もあったが、2年目にして早くも「FAの功罪」が囁かれた。 なお広岡元西武監督が本邦初のゼネラル・マネージャーに就任したロッテは他球団を解雇されたか解雇される寸前の選手を大量に集めたが、うち山中が広島、日ハム、中日、ダイエーに続く珍しい5球団目を迎えた。 またボーク問題以降低迷を続けた近鉄の元エース阿波野が巨人入り。ドラフト時以来の相思相愛の間柄であり、オリックス移籍後に救援エースに成長した鈴木平の様なケースもあり期待されたがワンポイントの域を脱せず。3年後には恩師・権藤指揮下の横浜へ。ドラフト時に入札した三球団全てに在籍するという数奇な野球人生を送った。 長富の交換相手として木村拓也が広島へ。SMAPの木村氏とは一字違いだがこれで高橋英樹と俳優組が二人揃った。長谷川一夫(元ロ−平)は超えられるだろうか。 |
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※1:ロッテ退団後、米1Aを経て日ハム復帰。 ※2:オリックスへの金銭譲渡成立せず自由契約、ヤクルトへ。 ※3:93広島,94台湾時報 |