88オフ〜89シーズン中

選手 (団・守)選手 (団・守)備考時期
山本和(広・投) 金銭(オ・ ) 
鍋 屋(広・投)
滝 口( ・投)
高 代(日・内) 
津 末(日・内) 金銭(巨・ ) 
柳 原(近・外) 金銭(日・ ) 
門 田(ダ・外)原 田(オ・投)
白 井( ・投)
内 田( ・捕)
 
岡 本(巨・投)白 幡(西・外) 
山 中(広・捕)山 田(ダ・外) 
伊 藤(広・内) 金銭(ダ・ ) 
本 村(中・外)
片 平( ・内)
片 岡(広・内)
斉 藤( ・内)
 
永 射(洋・投) 無償(ダ・ ) 
大 川(ヤ・投) 金銭(日・ ) 
西 本(巨・投)
加茂川( ・投)
中 尾(中・外) 
間 柴(日・投)自契→(ダ・ ) 
岡 嶋(ロ・捕)自契→(神・ ) 
石 井(オ・投)自契→(神・ ) 
竹 田(洋・投) 無償(三・ )※1
福 家(神・投)
佐藤秀( ・投)
住 友(近・投)
 南 ( ・投)
※2
 谷 (近・投)後 関(ヤ・内) 
田 中(広・投)自契→(洋・ ) 
若 菜(洋・捕) 無償(日・ ) 89/3
 シーズン中
江 本(中・投)
西 村( ・投)
中 村(ダ・投)
白 井( ・投)
 89/6
 角 (巨・投) 無償(日・ ) 89/6
 ダイエー、オリックスの新球団誕生でオフの話題には事欠かなかったが、九州行きに難色を示した40歳の本塁打王、門田が移籍を要求。結果的にトレードとしては大した成果はなかったが、京阪神地区の近鉄、オリックスを両天秤にかけた交渉は「ダイエー商法」として球界に新風を巻き起こした。
 年々丸くなるにつれ「お坊さん」系の風貌になってきた門田の実父が僧侶とは、人間血は争えないというべきか。が2年後にはやはり本人の要求でダイエーへ舞い戻るのだから生臭い。

 また西本と中尾は、同一リーグ内で主力級、しかも投手と捕手(88年の登録上は中尾は外野手)の交換は珍しい。西本が20勝、中尾は捕手に戻って巨人の日本一に大きく貢献と両者働いたのは目出度い限りだ。

 ほか広島が中堅クラスを大量に放出。殆ど戦力にならず、「経費節減」という観点からは正しい選択だったといえる。
 片岡、斉藤という大物打ちを中日の殆ど無名の2選手と交換したのは驚かされたがやはり働かず。妙な形で眼力の高さを証明した。
 一方、開幕直前に若菜が日ハムへ無償譲渡の形で移ったが、前年(88年)開幕直前の山下大の突然の引退とも相まって古葉政権崩壊近しを印象付けた。

 なお日ハム・津末は東海高/大同期の原の口利きで巨人に拾われたが、その後、巨人コーチ〜スカウトとして職を得ており、持つべきものは良き友人という好例だろう。
※1:韓国三星へ、1年間の期限付という形で譲渡。
※2:近鉄・南投手は同球団打撃投手に内定後、球団の了承を得て阪神テストに参加。
   近鉄球団は阪神の獲得を前提に同投手を自由契約扱いとしたが、阪神球団は
   トラブルに発展することを懸念し不採用に。南投手の提訴により近鉄球団と
   再契約した上で、トレードの形で阪神球団へ。

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