88オフ〜89シーズン中
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ダイエー、オリックスの新球団誕生でオフの話題には事欠かなかったが、九州行きに難色を示した40歳の本塁打王、門田が移籍を要求。結果的にトレードとしては大した成果はなかったが、京阪神地区の近鉄、オリックスを両天秤にかけた交渉は「ダイエー商法」として球界に新風を巻き起こした。 年々丸くなるにつれ「お坊さん」系の風貌になってきた門田の実父が僧侶とは、人間血は争えないというべきか。が2年後にはやはり本人の要求でダイエーへ舞い戻るのだから生臭い。 また西本と中尾は、同一リーグ内で主力級、しかも投手と捕手(88年の登録上は中尾は外野手)の交換は珍しい。西本が20勝、中尾は捕手に戻って巨人の日本一に大きく貢献と両者働いたのは目出度い限りだ。 ほか広島が中堅クラスを大量に放出。殆ど戦力にならず、「経費節減」という観点からは正しい選択だったといえる。 片岡、斉藤という大物打ちを中日の殆ど無名の2選手と交換したのは驚かされたがやはり働かず。妙な形で眼力の高さを証明した。 一方、開幕直前に若菜が日ハムへ無償譲渡の形で移ったが、前年(88年)開幕直前の山下大の突然の引退とも相まって古葉政権崩壊近しを印象付けた。 なお日ハム・津末は東海高/大同期の原の口利きで巨人に拾われたが、その後、巨人コーチ〜スカウトとして職を得ており、持つべきものは良き友人という好例だろう。 |