87オフ〜88シーズン中
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星野路線に則り中日がベテランを放出。昭和最後の年となった翌88年に優勝を遂げていることからすれば一応成功を収めている訳だが、大島、平野の後年の活躍を見ると果たして、という疑問は残る。 中日は仁村徹の実兄薫も獲得したが、10年経って今度は二軍監督に昇進した弟の下で兄がコーチに。持つべきものは堅弟だ。 加藤英に続き上田人脈から外れた阪急・簑田は巨人入り。期待されたが頭部死球の後遺症は克服し切れなかったようだ。 シーズンに入り近鉄は、大麻所持で国外追放になったデービスの代役として二軍で燻っていたブライアントを急遽獲得したが、これが89年の雌雄を決する対西武戦4打席連続本塁打につながったのはご承知の通り。近鉄は横浜とともに伝統的に外国人選手の成功例が多いが余所から貰った選手迄活躍して仕舞うのは幸運の域を超えており、中日フロントを責めるには当たらないだろう。 また6月に阪神入りした久保は、丁度8年後のやはり6月に近鉄に復帰。背番号も6で21年の現役生活を勤め上げたのは驚きかつ立派だ。 なお近鉄を戦力外になり中日に拾われた形のジャンボ仲根は、95年に急逝した。ご冥福を祈りたい。 |