84オフ〜85シーズン中
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年が明けてからの中日の田尾放出は大きな話題を呼んだ。山内監督が「田尾の穴は痛い」と率直に語っていたのでは笑うに笑えない。同僚の谷沢同様、一匹狼でフロント受けが悪かったと言われるが、この移籍は田尾の野球人生を大きく狂わした。さらにわずか2年で阪神へと流れていくが田尾程の逸材を活かさず殺さず37歳で引退させて仕舞ったのも、結局は西武での成績が期待に反するものに終わったことにあるのではないか。
さて平田や福島、高橋里、佐藤政など前球団から見切りを付けられたベテランが一花咲かせたケースが目立つ。出色は阪神日本一に貢献した長崎か。ただ井上弘は一旦は日ハムを引退。コーチとして西武入りした所、キャンプで現役に復帰させられたもので、不成績で1年限りの退団となったがこれは本人を責められまい。 また西武・ジェリーは大洋ではホワイトで登録。名前と姓を使い分けた形だが、この例の先輩になるロジャー(太平洋でレポーズ、74年ヤクルト移籍)、ゲーリー(日ハムでジェスター、76年大洋移籍)とは姓名の順が逆になる。 なお中日から日ハムへ移った三沢は1勝に終わり表舞台を去ったが、11年後に国会の赤絨毯に現れるとは誰しも予想だにしなかったろう。信じる者は救われる、か。 |
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※1:打撃投手として採用後、現役登録(Hiro3SH氏ご指摘)。 ※2:なお84年迄、試合中にブルペンで投手の球を受ける捕手は現役選手に限るとの条項があったため、 各球団ともブルペン捕手或いはバッテリー・コーチ格の人員を支配下選手登録していたが、 連盟発表の支配下登録選手一覧には実質的に選手でないとの解釈で標記されていなかった。 85年よりこの規約は省かれたが、支配下選手に余裕のある球団は引き続きブルペン捕手の支配下を 継続したため、便宜上85年の名簿には久代(西)、大久保(近)の40代捕手をはじめブルペン捕手が 登録名簿に見受けられる。見掛け上これら"選手"は移籍或いは復帰になるが、本表からは省いた。 |