83オフ〜84シーズン中
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3年周期の江夏移籍の年。遂に王者西武へ草鞋を脱いだがシーズン半ばにして故障を理由に二軍落ち。後の米大リーグ挑戦も実らず寂しい去り際となった。 江夏獲得の際、柴田の譲渡に広岡監督は又しても根本管理部長に反発したが、柴田は日ハムで開花しこの判定は軍配は広岡に上がった。 また中継ぎとして日本シリーズでも活躍した西武・小林は譲渡時点からの約束事との説明付きで広島に返却。3年間の里子生活で立派に救援エースに育ったのはトレードのあり方にひとつの指針を与えたと言えよう。 逆に南海から無償移籍の山内新は阪神でも25試合先発のみ。連続先発記録を続けたが、完投はゼロで記録の為だけの起用にしか映らなかったのは大いに疑問を残した。 一方で、ロッテでコーチ就任目前だった弘田、王の陰で長らく代打生活に終始した山本功ら、ベテランが移籍で息を吹き返したのは朗報。 その他、上から読んでも下から読んでも三宅宅三元スカウト部長との養子縁組という脱法行為ギリギリで日本球界入りした三宅(李)宗源は、巨人移籍後も「捕手が5人必要」と揶揄された制球力は変わらず。 前年開幕第二戦で巨人・駒田に初打席満塁本塁打を食らった元ドラフト1位の大洋・右田も早々にロッテへ。以後は北野たけし氏に似た風貌も話題にならなくなった。 |