76オフ〜77シーズン中

選手 (団・守)選手 (団・守)備考時期
倉 田(巨・投)浅 野(ヤ・投) 
槌 田(巨・外)自契→(ヤ・ ) 
水谷孝(巨・投) 無償(急・ ) 
谷 山(巨・投)自契→(日・ ) 
 魚 (巨・捕)自契→(洋・ ) 
大 本(巨・投)自契→(ロ・ ) 
米 田(神・投)自契→(近・ ) 
上 辻(神・投)自契→(巨・ ) 
金 城(広・投)松 原(南・投)
門田純( ・投)
 
川 畑(広・投)
永 本( ・投)
正 垣(急・外) 
佐 伯(広・投)
宮本信( ・投)
久 保( ・内)
新 美(日・投)
皆 川( ・投)
内 田( ・外)
鵜 飼( ・投)
 
瀬 戸(広・投)榎 本(ヤ・投) 
ホプキンス(広・内) 無償(南・ ) 
稲 葉(中・投)
島 谷( ・内)
大 隅( ・投)
戸 田(急・投)
森 本( ・内)
大石弥( ・投)
小松健( ・外)
 
竹 田(中・投)松 林(ク・投) 
白 滝(中・外)芝 池(近・投) 
末 永(中・内)自契→(ロ・ ) 
西 岡(中・投)自契→(ヤ・ )テスト
益 川(ヤ・内)伊 勢(近・内) 
山下律(洋・投)
高 垣( ・投)
関 本(ク・投) 
長谷川(ロ・外)
倉 持( ・投)
 白 (ク・外)
安 木( ・投)
 
島 津(日・外)自契→(ク・ ) 
藤井栄(ク・外)自契→(急・ ) 
ロザリオ (元/ロ)復帰→(ク・ ) 
森 山(元/近)復帰→(南・ ) 
高橋博(日・捕)自契→(ロ・ ) 77/1
山 下(巨・内) 無償(日・ ) 77/1
笹 本(神・捕)竹 村(急・投)
新 井( ・投)
 77/3
井 上(ヤ・内) 金銭(ロ・ ) 77/3
 日本シリーズ最終戦で逆転本塁打を放った森本放出をはじめ日本一・阪急が積極的な戦力補強を図った。
 その森本は中日では眼鏡のコレクション以外は話題にもならず、阪急へ行った島谷、稲葉の活躍もあり、中日球団有数の大失敗策として語りぐさになっている。

 中日は藤波問題でもミソを付けた。クラウンの基と藤波、竹田の交換を藤波が拒否。結局竹田は松林との交換になり、宙に浮いた基は1年後に大洋へ。「引退も辞せず」の強硬姿勢を貫いた藤波は減俸と背番号3剥奪で中日残留となったが、東都の首位打者も以降は代打の切り札止まり。
 14年間の現役生活で東海TV解説者の地位は得たが、何方が良かったのか。他人にははかり難い所だ。

 一方広島も目を痛めた元最多勝投手の金城や75年のリーグ優勝に貢献した佐伯、宮本信らを放出。獲得した松原らもそこそこの出来で、後年ほど「間引き」の印象はない。
 佐伯は移籍会見で激烈な広島批判を展開したが、4年後に広島に戻りスカウトに。地元は有難い。
 また移動中にも医学書を放さなかったホプキンスは条件面で折り合わず一旦帰国後、再来日。南海では奮わなかったが、見事初志貫徹で医師になったのは有名だ。

 浅野の巨人入りは「松園オーナーの贈り物」などと揶揄されたが、交換相手の倉田も78年のヤクルト日本一には救援で貢献しており、好トレードと見るべきだろう。
 一方、75年にロッテが半年もたずにお払い箱にしたロザリオを性懲りもなくクラウンが採用。又もや1年で解雇とは調査不足ではないか。
 ロッテでは元エース木樽が首脳陣と対立しトレード志願から結局引退。また史上初の全ポジション経験者である高橋博は捕手難に泣く長島巨人がご執心で、実質的に山下との交換の形で巨人入り目前だったが一転ロッテに。後82年末には契約交渉がこじれ提訴、再契約の上、引退するという後味の悪い幕切れで球界を去ったが、長く少年野球の指導を務め、99年現在「神奈川北ボーイズ」の監督という(情報御提供:Hirano Yuji氏)。

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