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金田監督が強引なアタックで実弟留広の獲得を要求。就任間もない三原"総監督"がこれを受け入れ「割に合わないトレード」と揶揄された。既に前年から「ロッテ相手には投げたくない」と公言していた金田留だが、兄(34)の半分の17番を付けて最多勝に。が球団への不信感を強めた交換相手の野村収が、後に駒大後輩の森繁和(後西武)がロッテにドラフト1位指名された際に社会人入りを勧めて仇を取られた形。 ロッテは池辺(外)と中日の三好(内)・竹田(投)2選手の交換も決めたが、池辺が名古屋在住を嫌い白紙還元。正式発表がなかったため中日は提訴も出来ず泣き寝入り、竹田が毎年の様にトレード戦線に名の挙がる有名人となる第一歩を記したことだけが記憶される。 日拓・ロッテの合併騒動から日ハム誕生で落ち着くも2月まで二軍合同チーム「ロッテ・ファイターズ」が俎上に上がるなどミソを付けたロッテだが、カネヤン・ダンスで日本一になり辛くも面目を保った。 なお元巨人の「エースのジョー」こと城之内も3年振りの現役復帰でロッテへ。巨人を切られ燻っていた所を金田が救い上げた形だがロッテ・コーチ、スカウトを経て、巨人スカウトに。川上とは和解したのか。 また前監督村山派の「鉄仮面」藤井はトレード志願し心機一転、太平洋へ。永射は後西武時代、外国人キラーとして名を売った。 全般的にトレードが少なく年明けに自由契約後の移籍が目立つ珍しい年だが、中では外国人選手が3人移籍している。巨大な本塁打と三振王という後のブライアントに通ずる一般にイメージされるところの典型的な外国人選手、ジョーンズは近鉄で本塁打王に。ハワードの来日で太平洋を解雇されたレポーズは、2年目のペピトーンの来日を断念したヤクルトにロジャーとして現れ文字通り別人の様な活躍を見せたが同一人物である。 |