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巨人が若手投手を大量放出。前年0勝から一躍20勝投手に躍進した山内は「野村再生工場」の第一号作品として現在も語り草となっている。同時に移った松原も後広島で福士、さらに韓国で張として30勝投手のスーパースターとなったが悪役振りが困じて消えてしまった。 一方、富田は働き場所に恵まれない選手だった。田淵、山本浩とともに法大三羽烏と謳われ巨人にも長嶋の後継者として招かれたがジョンソン来日で日ハムへ。ここでは2年連続3割と底力を発揮し余生は中日で過ごしている。 日拓へ移った「メリーちゃん」渡辺は、これを契機に大洋、ロッテ、広島と渡り鳥生活に。最後の広島の水が合ったか長くスカウトを務めている。引退登板で故意にぶつけて与死球日本一となるも本家東尾に抜き去られた。 前年からパ・リーグは激動期に入り、東京球場の存続問題で揺れるロッテの中村オーナー代理が解散目前の西鉄の経営を引き受ける羽目になり、一族郎党引き連れて太平洋をスポンサーに福岡野球倶楽部を設立。さらに年明けには東映が日拓ホームに身売りと、レジャー産業の進出という形で列島改造ブームが球界にも及んだ。 そして結果的には閉鎖に追い込まれたが東京球場の存続交渉を請け負ったのはヤクルトの松園オーナーで、真っ先に太平洋に福富の譲渡を申し出る、とこの辺り岸信介人脈の複雑さを伺わせる展開が面白い。 太平洋は再出発に際し他球団にも余剰選手の供出を求め、石井茂(急)、三浦清(南)、芝池(近)、及川(洋)と、若干トウが立っているとはいえ渋い選手がやって来て「太平洋旋風」につながる。 その他、中日は広島で伸び悩んでいた井上弘を得て珍しくトレードに成功。王と本塁打王争いを繰り広げたロバーツは悪名名高きペピトーンの来日ではみ出され近鉄へ移りこの年で帰国したのは不運。前年終盤に一旦引退した「天秤打法」の近藤和が近鉄へ。再起はならず。 また元巨人、米3Aからグローバル・リーグと渡り歩き投手兼通訳で大洋に復帰した古賀は王ダイエーで突然入閣。「ハイディ」の愛称と愛嬌ある髭で異彩を放った。 年内に大洋から広島に移った飯塚は開幕直前に古巣ロッテに。1オフに2度の移籍は珍しい。 3年目のトレード会議は7人が移籍成立(うち1名引退)とこぢんまりしてこの年限りで廃絶。2年前の巨人に続き2度目の指名で近鉄に移った阿部がイースタン、ウェスタン両二軍首位打者に輝き、ついにはレギュラーの座にという美談もあったが、やはり何時の世も埋もれている人材の発掘は難しい。 なお金田新監督の「若くてピチピチ」路線からはみ出した小山は大洋へ。急遽身請けすることになった大洋側は言われるがまま鬼頭を交換相手に出したが1年で復帰。永田−中部の返還前提交換の名残との印象もある。 |