71オフ〜72シーズン中

選手 (団・守)選手 (団・守)備考時期
才 所(巨・外)自契→(西・ ) 
一 枝(中・内)飯 田(近・内) 
野村収(洋・投)
 金銭
江 藤(ロ・外) 
新 井(洋・内)佐藤元(ロ・投) 
森 中(洋・投) 金銭(映・ ) 
秋 本(広・投)自契→(巨・ ) 
大 羽(広・投) 金銭(映・ ) 
奥 田(神・捕)   (中・ ) 
溜 池(ヤ・内)山田勝(近・外) 
藤原真(ヤ・投)田中調(映・投) 
外 山(ヤ・投)
 金銭
ロペス(ロ・外) 
岡 村(急・捕)
阪 本( ・内)
佐々木( ・投)
種 茂(映・捕)
大 橋( ・内)
 
井 石(ロ・外)   (広・ ) 
榎 本(ロ・内)村上公(西・捕) 
里 見(南・捕)佐藤敬(ロ・投) 
高橋博(南・捕)江 本(映・投)
佐 野( ・内)
 
船 田(西・内) 金銭(ヤ・ ) 
加藤俊(元/ヤ)復帰→(映・ ) 
浜 浦(ロ・投)ジョンソン(米ジ軍) 72/1
川口孝(中・投)   (近・ ) 72/2
辻 正(中・外)   (映・ ) 72/3
日 野(中・内) 金銭(西・ ) 72/3
 選択選手会議※
鏑 木(洋・投)[金銭](巨・ ) 
藤田賢(洋・投)[金銭](巨・ ) 
勝 亦(神・捕)[金銭](ヤ・ ) 
大 原(神・外)[金銭](洋・ ) 
大 塚(ヤ・外)[金銭](南・ ) 
佐々木(ヤ・投)[金銭](映・ ) 
相 沢(ヤ・投)[金銭](近・ ) 
深 代(急・投)[金銭](近・ ) 
醍醐恒(急・捕)[金銭](南・ ) 
藤井秀(近・捕)[金銭](ロ・ ) 
近藤義(近・投)[金銭](南・ ) 
三浦正(近・投)[金銭](南・ ) 
高 原(映・捕)[金銭](急・ ) 
石井輝(映・投)[金銭](洋・ ) 
市 原(ロ・内)[金銭](急・ ) 
前田四(南・投)[金銭](広・ ) 
内 田(西・投)[金銭](広・ ) 
 ロッテが再び打線を解体。前年シーズン半ばに就任した大沢監督は守りの野球を掲げて首位打者江藤をはじめ、ロペス、榎本、井石と70年優勝時の主力を斬首。
 しかも見返りの外山は三原ヤクルト時代、史上2度目の「一番投手」で売り出した奇才だが肩が回復せず後に打者転向。8年前の教訓を活かせず5位に沈み閉幕後に大沢退陣、金田ロッテが誕生する。

 阪急−東映間では珍しく同一リーグ内、しかも遊撃、捕手のレギュラー同士を交換するという大胆な補強を行ったが、軍配は東都のホームラン王から守備の人に変身した大橋の広い守備範囲に上がり、阪急は2年連続リーグ優勝を遂げた。
 セの投手獲得が頓挫し出遅れた南海は暮れも押し迫って獲得した江本がいきなり16勝と大当たり。大型2トレードで失敗した東映は、この年限りで警察官出身の西村氏率いる日拓ホームに身売りされる。
 71年1月の大映のオリオンズからの全面撤退に続く東映の退場は、日本映画産業の衰退を如実に示していると言えよう。因みに、にっかつロマンポルノのスタートもこの年。

 また浜浦と初の日米間トレードと謳われたが、ジョンソンは1年で帰国。浜浦は渡米中に中村オーナー以下ロッテ上層部がライオンズを買収する政変で所属の米3Aローダイも福岡野球会社傘下となり2年後の帰国先は太平洋だった。
 トレード会議は大量17人が決まる(うち5人引退)も各球団とも移籍金の安くなる3巡目からしか指名がなく、素行不良でヤクルトから放出された大塚がモノになった程度と寂しい結果に終わった。

 その他、西鉄で「黒い霧」に連座したライフルマン船田が再起を賭しヤクルトへ。またヤクルトで無免許運転による自動車事故で球団から無期限出場停止を食らった加藤俊が東映に復帰した。
 余談だが「名球会のタブー」榎本氏はお元気だろうか。冗談でなく、還暦を迎えた氏のバット捌きを一度見てみたい。

 
 
 
 
 
※:前田(南海・投)は広島移籍後引退。

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