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巨人は引き続き5番打者候補として、86年に清原がタイに並んだ新人最多本塁打31本の記録を持つ桑田を獲得。引き替えに森に排除された大橋が大洋に移ってレギュラーとなった。 桑田は別当監督とソリが合わず放出、年俸1400万円と期待は高かったが無安打で翌年はヤクルトへ。巨人は漸く左から高田、柴田、末次のV9外野陣が固まりつつあり、高倉、田中久はじめ慶応出の江藤弟ら整理が相次いでいる。 巨人・荒川コーチの額を利き腕で殴って骨折したバッキーは近鉄へ。0勝に終わり外国人単独最多勝はならずスタンカと並んだままで帰国した。近鉄は外国人枠で余ったボレスを前年にロイを実質無償で貰った見返りにトレード・マネーなしで西鉄へ譲渡。阪急は契約交渉がまとまらず退団したスペンサーの後釜に大洋を解雇されたアグリーを採用と珍しく外国人の移籍も目立った。 総じて大物の移籍は少なく、西鉄から巨人へ移籍の柳田が、後に「史上最強の5番打者」から女優鹿沼えりとのスキャンダルで退団。現役時代から評判で矢野顕子が讃える唄を作ったという歌唱力を活かして歌手に転向と波乱万丈の道を歩んだのが目立つ程度か。一緒に移った下手投げの若生は「ロカビリー投法」。今では何のことやら全く解らない。 また八田は14年目のボーナスを前に自由契約、ボーナスなしでオリオンズが再契約とも見られたがかつての師である阪急・西本監督が拾った。 いつの時代も毎年ストーブ・リーグになるとトレードのお声がかかる「オフの恋人」はいるもので、この時期のサンケイ・渋谷投手もその典型例。漸く広島・漆畑内野手との交換が決まったが、申し入れたサンケイ側が取り消す不可解な結果でこの年も不成立。広島はこれに懲りたか根本(陸夫,監督)魔術もタネなしに終わった。 |