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松田オーナーの辞意表明で始まった広島カープの騒動は東洋工業への経営一本化と逆クーデターとも言うべき結末に。このマツダの掴み金で山内獲得など補強に努めた。山内を売った阪神は、小鶴・林の大物コーチのほか近鉄から小玉前監督(兼内)を獲得。費用が嵩み浮いた朝井も広島へ放出となった。 一方、別所新監督を迎えたサンケイは山本八、矢ノ浦らクセのあるベテランを整理。68年から支配下選手枠が10人増え60人となることもあり、15人をテスト採用と血の入れ替えに躍起。ところが契約交渉のもつれから正捕手の岡本を200万円で売り、控えクラスの久代を500万で獲得とチグハグさも否めない。 元20勝投手・田中勉はシーズン中からの稲尾コーチ批判、中日との事前交渉疑惑の挙句、西鉄球団はパ球団との交換を拒み続け、年明け漸く当初予定通り中日で1年目に堀内から逆転満塁サヨナラ本塁打を放った広野との交換となる。田中は69年限りで退団し後失脚。若き中心打者広野の丸損になった中日球団には非難が相次いだ。 中日は大洋から獲得した元大毎のエース、救援最多勝利21のシーズン記録を持つ左の小野も70年限りで同様に失っている。 前大洋監督・三原脩が新監督に就任した近鉄は、中日への金銭譲渡が壊れた元エースの徳久を最終的に自由契約で西鉄に譲るなど、余力のある選手を大量に放出。後に球団課長が逮捕され、この整理には「疑惑の選手」の存在があったと囁かれる。西鉄の迎えた8人の移籍選手のひとり、永易投手の衝撃の八百長発言で「黒い霧」事件が幕を上げるのは翌69年のことになる。 なお大阪方面への移籍希望に言及した一枝(中・内)+島野(・外)と小池(内・南)の交換が一旦固まったが流れ、島野は結局シーズン中に堀込との交換となる。 |