66オフ〜67シーズン中

選手 (団・守)選手 (団・守)備考時期
宮 寺(巨・外)
 金銭
高 倉(西・外) 
宮本洋(巨・投)森 永(広・外) 
矢 野(中・投)
岡 野( ・捕)
久 保(近・投) 
鎌 田(神・内)自契→(近・ ) 
並 木(神・外)自契→(京・ ) 
大石清(広・投)大石弥(急・投) 
梁 川(広・外) 金銭(急・ ) 
岡 嶋(サ・内)自契→(映・ ) 
根 来(サ・捕) 金銭(急・ ) 
井上登(南・内)自契→(中・ ) 
森 中(南・投) 金銭(洋・ ) 
アギー(西・内)   (洋・ ) 
城 戸(西・内) 金銭(サ・ ) 
神 原(西・捕) 金銭(西・ ) 
西園寺(映・内) 金銭(神・ ) 
山本義(映・投) 金銭(急・ ) 
柿 本(急・投)自契→(神・ ) 
河野旭(急・内)自契→(神・ ) 
山本八(近・内) 金銭(サ・ ) 
衆 樹(急・外)自契→(南・ ) 67/
太田利(前南内)復帰→(サ・ ) 67/
クレス(前近内)自契→(神・ ) 67/6
 巨人は西鉄の元切込み隊長、「キャップ」高倉と元首位打者の森永という大型補強。高倉は前半戦5番に定着し日本シリーズでも活躍。が2年後には解雇されかつての僚友豊田がコーチ兼任で在籍するアトムズに移る。
 阪神は10年選手の並木と曲者の鎌田を放出。鎌田は翌年近鉄監督に就任する三原にバックトスを禁じられ、以降妙技が見られなくなったのは残念だった。後に阪神、近鉄でともに実質ヘッド・コーチ格ながらベンチ入りせず、背広の「アドバイザー」といった不可解な役職に就いたのは謎。

 「再建3ヵ年計画」の名の下に西鉄は高倉、城戸、アギーと高額選手を放出、大量の新人採用で若返りを図った。ベテランでは前阪急の河野旭が中西の懐刀となる端緒となった程度。
 東映も西園寺、山本義と10年選手を売り払い減量経営を目指したが三塁の穴が埋まらずサンケイを整理された岡嶋を慌てて獲得。シーズン後、コーチ編成・補強方針でフロントと対立した水原監督は退陣し「三無主義」の大下フライヤーズが誕生する。

 その他、阪急−広島間の大石−大石の交換が話題となった。広島は巨人からの宮本とともに、ウェスタンの雄・大石弥太郎と投手陣を若返り。広島で開花した弥太郎は阪急に戻り中日、南海と渡り鳥、清は阪急で再び上田と巡り会い、途中古巣に戻ったりしながらも「上田一家」の一員として長くコーチ業を務めた。

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