65オフ〜66シーズン中

選手 (団・守)選手 (団・守)備考時期
伊藤芳(巨・投)久保田(映・投) 
船 田(巨・内)田中久(西・外) 
大 熊(巨・投)自契→(西・ ) 
アスプロ (中・内)自契→(洋・ ) 
小川敏(中・捕)島田幸(洋・内) 
柿 本(中・投)佐藤公(急・投) 
戸 梶(神・捕)自契→(京・ ) 
本 間(神・投)安 部(西・投) 
福 浦(神・投)自契→(西・ ) 
島 野(洋・捕)杉 本(サ・内) 
麻 生(洋・外) 金銭(サ・ ) 
鈴木隆(洋・投) 西 (京・投) 
森 徹(洋・外) 金銭(京・ ) 
荒 川(洋・投)   (巨・ ) 
東 条(南・内)
無 徒( ・内)
 金銭(サ・ ) 
渡 会(南・捕) 金銭(西・ ) 
山口昌(南・投)   (西・ ) 
富 永(映・投) 無償(サ・ ) 
島田雄(映・外)自契→(巨・ )テスト
矢ノ浦(近・内) 金銭(サ・ ) 
村 上(米ジ軍)復帰→(南・ ) 
池 沢(映・外)自契→(巨・ )テスト66/2
スタンカ (南・投)自契→(洋・ ) 66/3
クレス(洋・内) 金銭(近・ ) 66/3
 南海退団の決まった鶴岡前監督の去就を巡りオフは揺れた。東京・サンケイの争奪戦の末、鶴岡の会見を翌日に控えた夜、蔭山南海新監督が急死するという悲劇を経て、鶴岡は南海に復帰。結局サンケイは飯田コーチの昇格に落ち着き、南海からは御祝儀兼迷惑料として2内野手を譲り受ける。
 この年からアトムズに改称したサンケイはドラフト制度の開始で新人の補強が制約されたこともあり、天才内野手と謳われ高卒ルーキー時から遊撃の定位置を確保したながら、博打で身を崩した矢ノ浦ら積極的にトレードを行ったが、あまり効果はなかったようだ。

 大洋では鈴木隆−西の交換は中部オーナーと永田東京オーナーが昵懇で返還前提トレードと言われた。三原と折り合いの悪い鈴木隆を一時ロッテに待避させたもので、三原退団と同時に両者とも元のサヤに戻っている。同じく三原と折り合いの悪い森徹も東京へ。
 また次男の不慮の事故で日本シリーズ後に一旦帰国したスタンカは南海復帰が叶わず3月になって大洋入り。代わって外国人枠からはみ出したクレスが新外国人獲得の頓挫した近鉄へ移った。

 巨人に移った久保田は開幕3戦目の1勝のみで退団し審判転向。現役通算80勝は戦後の審判では最高の実績だろう。交換相手は当初は阪急が熱心に獲得に乗り出していた「おっちゃん」伊藤芳明、左太股の故障からは甦らずだった。


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