64オフ〜65シーズン中

選手 (団・守)選手 (団・守)備考時期
福 塚(神・捕) 金銭(急・ ) 
大 崎(洋・投) 金銭(近・ ) 
浜 中(洋・内)自契→(中・ ) 
アグウィリ(洋・内) 金銭(西・ ) 
弘 瀬(広・投) 金銭(急・ ) 
土 屋(国・内)自契→(神・ ) 
町 田(国・外)自契→(巨・ )テスト
渡辺博(急・投)自契→(サ・ ) 
松 並(急・投)   (西・ ) 
バルボン(急・内) 金銭(近・ ) 
 堺 (映・内)自契→(近・ ) 
小 野(京・投) 金銭(洋・ ) 
塩 津(京・外)自契→(中・ ) 
ブルーム (近・内)自契→(南・ ) 
関 根(近・外)自契→(巨・ ) 
須 崎(近・外)   (サ・ ) 
権藤正(映・投)自契→(神・ ) 65/1
 畑 (西・投) 金銭(中・ ) 65/1
坂 崎(巨・外)
池 沢( ・外)
山崎正( ・外)
吉田勝(映・外)
石 原( ・投)
安藤元( ・投)
 65/1
 牧 (神・投)谷 本(毎・捕) 65/1
村 上(神・投)自契→(急・ ) 65/1
七 森(巨・投) 無償(サ・ ) 65/1
今 津(中・内)自契→(広・ ) 65/1
大 沢(南・外) 金銭(京・ ) 65/1
 10年選手権利行使
金 田(国・投) → (巨・ ) 
 シーズン中
岡 嶋(急・内) 金銭(サ・ )  
 金田がB級10年選手(再契約した10年選手)の権利を行使し巨人に移籍。背景には目前に迫った国鉄の、既に業務提携していたサンケイへの全面的な球団経営譲渡があったが、B級10年選手の移籍の権利は下位球団からのウェーバー制。選手本人とリーグ会長が各々2球団まで拒否権を持つというもので、前年巨人が3位に沈んだ為、国鉄を除く下位2球団との交渉を拒否すれば巨人への移籍が可能になるという好機だったのも事実。地元中日入りに揺れるも当初予定通り巨人に落ち着いた。
 国鉄は巨人からの見返りに候補に宮田、国松、七森を候補に挙げたが、結果若手左腕の七森で失敗。元本塁打王の町田や巨人時代に「眠狂四郎」の異名をとった土屋も解雇し減量経営を図ったが、開幕後、正式に「サンケイ・スワローズ」となる。

 一方、巨人は更に、東映に3人の外野手を出し吉田勝らを獲得した他、関根、町田らベテランを集め執拗に5番打者候補を探った。このような積極的な補強策がこの年から始まるV9への第一歩と言えよう。
 移籍した坂崎は水原監督好みの代打の切り札となるが、山崎は夢よもう一度で投手復帰。池沢は1年で巨人に舞い戻る。吉田勝も後の西鉄移籍後も含めレギュラーはこの年が最後。早稲田のエース安藤元も甦らず大型トレードの割には成果は今ひとつか。
 また巨人は川上批判の広岡内野手と国鉄・渋谷の交換を決めたが、正力裁定で残留に。コーチ兼務から平の選手に格下げされこの年限りで退団する。

 金田の移籍に加え東京の小野も大洋へ。左投手対策に阪神は谷本、土屋の右打者を補強するも成果薄し。
 南海の大沢は12月に一旦スカウト転出が決まったが、東京が南海対策として現役選手として獲得。これが鶴岡に次ぐ二代目「親分」への第一歩となった。

 外国人選手の移籍が3人。バルボンは現役最後の1年を近鉄で過ごした後は、阪急に戻ってコーチから通訳。キューバ情勢が悪化し帰国が叶わなかったお陰で長らく不思議な大阪弁が西宮球場に木霊することとなった。
 ブルームは関根らとともに近鉄の財政再建策の煽りを食らい南海に拾われる。老体で二塁の守備はおぼつかないが打撃は健在。
 またアグウィリーは西鉄ではアギー、阪急ではアグリー。嘗て大映がマンコビッチ選手をマニーで登録したようにやむを得ない場合は別にして、外国人選手の登録名はかなり適当という実例だ。

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