63オフ〜64シーズン中

選手 (団・守)選手 (団・守)備考時期
渡 海(巨・外)自契→(映・ ) 
前 田(中・内)葛 城(毎・外) 
河野旭(中・内)牧 田(急・投) 
寺 田(中・内)山本久(映・内) 
小 渕(中・内)   (国・ ) 
小 山(神・投)山 内(毎・外) 
ソロムコ (神・外)若生智(毎・投) 
小 西(国・外)   (京・ ) 
権藤正(洋・投)自契→(映・ ) 
三 平(洋・投)   (急・ ) 
的 場(洋・内)   (中・ ) 
石川進(毎・外) 金銭(急・ ) 
成 田(毎・捕)   (急・ ) 
本屋敷(急・内) 金銭(神・ ) 
杉 山(急・外)自契→(南・ ) 
小川健(元/映)復帰→(中・ ) 
西 山(神・外) 金銭(京・ ) 64/3
 シーズン中
ディサ(京・投)ウェーバー(近・ ) 64/4
本田逸(元/中)復帰→(中・ ) 64/7
 米への移籍
村 上(南・投) 研修(米ジ軍)
※南海より米SFジャイアンツ3Aに野球留学中に、大リーグ昇格。
 前監督の濃人中日顧問が本堂大毎のヘッド・コーチに就任すると、数年来の課題だった山内放出が再燃し、 濃人の愛弟子・江藤(中)との交換も囁かれたが、結局は阪神のお家芸「両雄並び立たず」で浮いた小山を得て史上名高い「世紀のトレード」が成立。 併せて大毎は葛城を放出、田宮引退とミサイル打線を解体。若生で広島・森永獲得を目指したが果たせず、 63年8月に竣工した狭い東京球場では小山の30勝孤軍奮闘こそあれ、年明けに球場名にならい東京オリオンズと改称するも3位に留まった。
 むしろソロムコで若生を釣り上げた阪神は綺麗にバランスを取った形で、阪急でトレード要員となった 長嶋、杉浦とともに立大三羽烏でお馴染みの本屋敷も加わり、山内は期待程では無かったものの2年振りの優勝を遂げている。 余談だがソロムコは引退後、日本で輸入業を営み事業で大成功というのは珍しいケースだろう。

 中日は吹き荒れた「濃人旋風」が漸く去って、今度は濃人時代に集めた小淵、寺田らも放出。 元東映の小川健も9年振りに中日に復帰したが、20勝2回、王への背面投げで話題を呼んだ後、70年にオートレース八百長で永久追放となっている。
 一方、西本体制2年目を迎える阪急は本屋敷らベテランを中心に11選手を整理。中日で杉浦監督と対立した河野の復帰や西本の嘗ての教え子・石川進らの補強で急場を凌いでいるが、 元首位打者の杉山光平は余程南海の水があったのか古巣で復活しておりこれは目論見違いだったろう。

 また60年大洋優勝の立役者・権藤は西鉄への金銭譲渡が壊れ、結局自由契約での東映移籍。翌年には阪神に移り39歳迄現役を続けたが、「サル」呼ばわりした金田正泰監督を殴って球界から足を洗った。
 開幕後には、東京・ディサが日本初のウェーバー譲渡で近鉄へ移籍している。

 さて9月になって米国から突然吉報が届く。留学中の南海・村上が突如メジャーに昇格。日本人初の大リーガーとなった。
 閉幕後、南海・ジ軍間で同投手の保有権を巡り紛糾するが結局、翌65年のみの米国移籍が決まり村上は4勝8セーブの好成績を挙げ南海に復帰する。

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