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中日が空前の大バーゲン。濃人監督が鶴岡南海監督と通じ森徹−寺田、長谷川の交換を画策する一方で、
高田代表は大洋・森社長と森徹譲渡で交渉。結局当の森徹が南海行きを拒んだため大洋への金銭放逐で落ち着いた。 更には児玉、石川緑ら主力を惜しげもなく整理し、挙げ句の果ては河合に続く吉沢の放出、酒井の斬首で捕手が居なくなったため子飼いの 江藤、小渕の捕手再転向を図る始末。急遽シーズン半ばにしてニューカム、ドビーの元大物大リーガーを招聘したが、流石に2年連続のAクラスながらシーズン終了後に濃人は解任される。 人生を狂わされたのは森で力道山と肝胆照らすスターが大洋、更にロッテに移って運命の皮肉、再び濃人と巡り会い解雇。肉体労働から元プロ野球選手を率いての米国遠征と数奇な人生を歩む。その際の球団名が東京「ドラゴンズ」だったことを見ても、中日球団は取り返しのつかない失策を犯したことに深く自戒する必要がある。 一方、南海は王者の余裕で2選手を金銭譲渡。半田との交換で井上登を得るに留まり大卒新人選手への切り替えを図るが、 流石に急速な400フィート打線改造は功を奏さず。 また別当新体制の近鉄も内藤、加倉井ら千葉の集めた元巨人組を整理し、中日から4選手を迎えたほか、前毎日の「野球博士」小森らを得て 血の入れ替えを図った。にも関わらず義原らを採用しているところを見ると、往時の巨人ブランドは空恐ろしい。 その他、巨人は王のライバル木次と長嶋のライバル難波を揃って解雇。ON砲完成の証か。7月に一本足打法に転向した王はこの年から13年連続本塁打王となる。 阪急には元首位打者のレインズが8年振り復帰。再来日外国人第一号かつその失敗例第一号帰国となった。 また竜の広島、伊藤光の西鉄と移籍後の球団で指導者として長く足跡を残した人物も多い。その最たるは西鉄黄金時代の五番打者・関口で、以後西本幸雄とともに歩み最後は近鉄監督も務めている。 |