59オフ〜60シーズン中

選手 (団・守)選手 (団・守)備考時期
竹 下(巨・捕)自契→(近・ ) 
松 下(巨・内)自契→(近・ ) 
十 時(巨・外) 金銭(近・ ) 
橋 本(広・投) 金銭(南・ ) 
宅 和(南・投)自契→(近・ ) 
江崎照(毎・投)   (近・ ) 
平 井(毎・内) 金銭(国・ ) 
衆 樹(毎・外) 金銭(急・ ) 
西田亨(映・投)自契→(毎・ ) 
河村久(西・投) 金銭(広・ ) 
渡辺清(急・外) 金銭(洋・ ) 
青 木(元巨投) 復帰(広・ ) 
加倉井(巨・外) 金銭(近・ ) 60/1
杉山悟(国・外)自契→(近・ ) 60/2
中村大(南・投)自契→(急・ ) 60/2
久保山(西・捕)自契→(急・ ) 60/2
伊藤四(近・投)
山下登( ・投)
自契→(南・ ) 60/3
 10年選手権利行使
大友工(巨・投) → (近・ ) 
飯 尾(映・投) → (毎・ ) 
 シーズン中
配 島(南・捕)   (洋・ ) 60/4
戸 口(近・内)   (急・ ) 60/6
鈴木武(近・内)   (洋・ ) 60/6
 前年に続き千葉近鉄が新田、樋笠両コーチ、10年選手の大友ら巨人から大量動員。前年オフから近鉄入りを希望していた加倉井は阪急との交換譲渡が決まっていたが「他リーグへの移籍は本人同意を必要とする」との条項を楯に拒否し、 千葉に従った。他にも32才で中日入りしたベテラン児玉や入団以来2年で50勝した宅和らを得たが、2年連続最下位。 わずかに巨人では練習生扱いに近かった竹下がレギュラー捕手になったのが救いか。

 阪急から渡辺、更に三原監督曰く「超二流」選手の一人として、近鉄で燻っていたところを6月に獲得した鈴木武ら、 用兵の妙と不足部分の的確な補強、「三原魔術」で最下位大洋が奇跡の日本一を成し遂げた。 波紋は水原巨人監督の解任から日本シリーズで敗れた大毎の経営から毎日が撤退と留まるところを知らなかった。

 支配下枠が更に45人に絞られ、動きにくい状況だったが、衆樹は阪急に移り漸く本領発揮。開幕第1球本塁打で名を残した。 また河村は広島では西鉄時代の球威は取り戻せなかったが俳優・小池朝雄に似た風貌が長く記憶にとどまっている。
 巨人を整理され大洋キャンプに参加、採用が内定していたのに風呂で転んで肘の裂傷で引退を余儀なくされたのは馬場投手。 後年のジャイアント馬場とは人の運命は判らないものだ。
矢ノ浦に見通し、遅れてブルーム入団→戸口・鈴木の放出
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