57オフ〜58シーズン中

選手 (団・守)選手 (団・守)備考時期
棟 居(巨・捕)   (広・ ) 
青木宥(巨・投)   (近・ ) 
渡辺博(神・内)   (近・ ) 
関 口(洋・投)   (巨・ ) 
小林経(洋・投)   (近・ ) 
大 津(西・投)   (近・ ) 
佐 川(西・投)自契→(広・ ) 
鵜 狩(西・投) 金銭(広・ ) 
大和田(西・外) 金銭(広・ ) 
 佃 (毎・捕)   (近・ ) 
服部武(毎・投)   (広・ ) 
岡 田(毎・内) 金銭(洋・ ) 
森 口(大・投)   (急・ ) 
田中照(大・投)
武 内( ・投)
加藤晃( ・内)
斎 田( ・外)
 譲渡(近・ ) 
山本義(大・投)   (映・ ) 
坂 本(大・内)   (中・ ) 
藤 本(大・投)   (中・ ) 
枝 村(大・外)   (洋・ ) 
筒井敬(大コ捕)   (映・ ) 
西田亨(元巨投)復帰→(映・ ) 
藤村兄(神・監)復帰→(神・ ) 
 前年の高橋解散に続き「東京にパ強豪球団を」の名目の下、経営は永田大映・選手は毎日主体の「大毎オリオンズ」が誕生。
 併せてこの年から支配下選手が50人に減少されたため、大毎は前年に続き4選手を近鉄に供出。5位東映も合併効果で坂本、小森ら主力級を狙ったが、映画会社同士の面子も絡み左腕山本とベテラン筒井に留まった。
 千葉獲得が翌年にズレ込んだ近鉄は他に引退後、同志社大教授になったが縊死した渡辺を阪神から獲得。両球団で西鉄・大下獲得合戦が再燃したがこれは果たせず。


 また合併余波は高橋−大映−大毎と移った佐々木信也で、新人で150試合全イニング出場した逸材はシーズン後に退団、 慶応ラインで水原巨人入りも土壇場で頓挫し26歳の引退は惜しまれた。日本初の専業野球評論家として後年、 プロ野球ニュースの顔となったのは有名だろう。

 その他、広島は選手層の厚い西鉄では出番の無かった鵜飼・大和田を得て見事戦力につなげた。
 また「藤村排斥事件」から1年、詰め腹を切らされた前監督藤村富美男が現役復帰。終身打率3割を割る直前にバットを置いている。

Home
Copyright (c)1997,2003 y.kayukawa.koenji Allright reserved