04オフ〜05シーズン中

選手 (団・守)選手 (団・守)備考時期
山 北(中・投)清水将(ロ・捕) 11
町 田(広・外) 金銭(神・ )  
三 澤(巨・投)自契→(ヤ・ )合ト 
福 井(巨・内)自契→(広・ )合ト 
富 岡(浜・投)自契→(西・ )合ト 
根 市(近・投)
藤 崎( ・投)
永 池( ・内)
自契→(楽・ )  
代 田(元ロ外)復帰→(ロ・ )合ト 
正 津(中・投)
宮 越( ・投)
大 友(西・外)
玉 野( ・内)
  
入 野(巨・捕)自契→(楽・ )合ト 
野 村(巨・捕)自契→(楽・ )合ト 
バーン(近・投)
パウエル ( ・投)
移籍→(オ・ )  
中 村(浜・捕) 無償(楽・ )  
井 出(巨・外)自契→(ダ・ )合ト 
筒 井(中・内)自契→(神・ )  
ホッジス (元ヤ投)再来日(楽・ )テスト 
飯 田(ヤ・外) 無償(楽・ )  
小 山(中・投)
関 川( ・外)
 無償(楽・ )  
ウッズ(浜・内)自契→(中・ ) 12
西 山(広・捕)自契→(巨・ )  
シーツ(広・内)自契→(神・ )  
 林 (日・内)自契→(ロ・ )合ト 
河 本(日・投)自契→(楽・ )合ト 
ラ ス(元巨投)再来日(楽・ )  
ホ セ(元巨投)再来日(オ・ )  
宇 野(元広投)復帰→(ヤ・ )※2 
紀 藤(中・投)
酒 井( ・内)
 無償(楽・ )  
ナイト(ダ・投)自契→(日・ )  
山崎武(オ・内)自契→(楽・ )  
岩 隈(オ・投) 金銭(楽・ )  
玉 木(広・投) 無償(楽・ )  
菊地原(広・投)山崎浩(オ・内)
上 村( ・捕)
 
スクルメタ (元ダ投)再来日(楽・ )テスト 
吉 井(オ・投)自契→(オ・ )※3
デイビー(広・投)自契→(広・ )※3
 FA移籍選手
大 村(近・外)ダ・金銭 12
 藪 (神・投)米アスレ 
稲 葉(ヤ・外)日・金銭 
 米への移籍
井 口(ダ・内)自契→(米Wソ) 
友 利(浜・投)自契→(米Rソ) 
 ポスティング
中 村(オ・内)米ド軍 
 シーズン中
河 原(巨・投)後藤光(西・投) 
伊 達(日・投) 金銭(巨・ )  
マレン(前浜投)再来日(巨・ )※4
沖 原(神・内)前 田(楽・内) 

分配ドラフト(11/8)※1
オリックス
楽天
前オ
前近
前オ
前近
歌 藤(投)岡 本(投)金 田(投)川 尻(投)
柴 田(投)香 月(投)谷 中(投)山 村(投)
加 藤(投)山 本(投)戸 叶(投)有 銘(投)
山 口(投)岩 隈(投)小 林(投)福 盛(投)
小 川(投)高 木(投)小 倉(投)愛 敬(投)
川 越(投)谷 口(投)徳 元(投)高 村(投)
ユウキ(投)阿部健(投) 矢 野(投)
岩 下(投)宇 都(投) 小 池(投)
M鈴木(投)宮 本(投) 朝 井(投)
本 柳(投)近 藤(投) 吉 田(投)
大久保(投)栗 田(投) 佐 藤(投)
相 木(投)吉 川(投)  
野 村(投)   
松 村(投)   
萩 原(投)   
山 本(投)   
塩 屋(投)   
日 高(捕)的 山(捕)高 橋(捕)藤 井(捕)
吉 原(捕)鈴 木(捕) 新 里(捕)
前 田(捕)横 山(捕) 近 沢(捕)
上 村(捕)  長 坂(捕)
長 田(捕)   
後 藤(内)中 村(内)斉 藤(内)吉 岡(内)
福 留(内)水 口(内)大 島(内)高 須(内)
塩 谷(内)三 木(内) 前 田(内)
平 野(内)阿部真(内) 山 下(内)
塩 崎(内)山 崎(内)  坂 (内)
五 島(内)北 川(内) 星 野(内)
牧 田(内) 筧 (内)  
嶋 村(内)中 本(内)  
菊 池(内)   
玉 木(内)   
村 松(外)下 山(外)佐 竹(外)森 谷(外)
 谷 (外)坂 口(外)竜太郎(外)益 田(外)
肥 田(外)吉 良(外)小 島(外)磯 部(外)
相 川(外)大 西(外)中 島(外)鷹 野(外)
早 川(外)井 戸(外) 川 口(外)
 迎 (外)  牧 田(外)
由 田(外)   
※1:オ近在籍選手から統合球団(オ)が25選手をプロテクト。残る選手から1、2年目選手を除き20選手を 新球団(楽)が指名。更に1、2年目選手を加え統合球団が1、2年目選手を主体に指名。 新球団が20名を指名。指名されなかった選手は統合球団へ。
※2:社会人リースキン広島経て
※3:オフに自由契約後、テスト経て復帰
※4:オフに自由契約後、米3A経て
 
 
 球団合併と新規参入、ダイエーの球団譲渡と西武鉄道不祥事、と球界を揺るがした一年間も 終わってみれば12球団制は維持され、パ・リーグ経営対処策としての交流戦導入こそ決まったが、 年俸抑制、ドラフト・FA改革から海外への人材流出対策等、大きな課題を抱えたまま 改革元年はスタートすることとなった。
 新球団・東北楽天ゴールデンイーグルスはオリックス・近鉄2球団の合併時に決まった分配ドラフトの 残る10球団分の権利を譲渡される形での参入となったため、統合球団入りを強く拒否した 磯部、吉岡の獲得こそあれ、選手層の多くを他球団からの供出、自由契約市場でのベテランの採用で 急場を凌ぐこととなった。従って「選手の意思を配慮」という文言に縛られた感のあるオリックス側の 見通しの甘さと、強引な主張を罷り通して仕舞ったという問題点は残したが、岩隈の獲得は 興行としての魅力向上の観点から球界全体にとっては望ましい選択だったろう。

 混乱の一年を象徴するが如く、岩隈問題を嚆矢として、移籍を巡るトラブルは少なくなかった。
 一時は"産業再生ホークス"としてロッテへのお嫁入りが濃厚とされたダイエー球団は、 早々に井口の米大リーグ入りを容認。程なく「中内(オーナー)・高塚(社長)体制が崩れれば米移籍を認める」 との密約を交わしていたことが判明し、何故この様な不可解な契約が結ばれたのか、 前年の小久保無償放出に続く不手際の罪は小さくない筈だったが、一転してダイエー球団誕生時を 彷彿とさせる"ITバブル"振りを発揮して現役大リーガーを次々に獲得。最早日米更にはアジア各国を問わず、 選手を如何に巧く売買するかがチーム作りの鍵となったことを証明してみせた。 制度の綾から二年連続シーズン1位ながらプレーオフに敗退し、さしたる補強を行わなかったロッテに 優勝を浚われたのは、王副社長兼GM兼監督には申し訳ないが皮肉な結末だったが。
 ソフトバンクは大村獲得で久々にFA市場にも復帰したが、総じてFAはヤクルトから移籍も睨んで 宣言した鈴木健、真中が早々に白旗を揚げて原隊復帰。米挑戦が長引いた稲葉は 復帰も時間切れで北海道に新天地を求めるなど、緊縮財政の煽りを受けたケースが多かった。
 また怪我と堀内監督との確執で球団代表への直訴に及んだ巨人・清原はオリックス・仰木新監督の 熱烈なラブコールも袖にこの年は残留に落ち着いたが、1年を経て身請けは具現化することとなる。

 その他、楽天以外の球団は合同トライアウト前の自由契約選手との接触が禁じられたため 珍しくトライアウト経由の移籍が目立つ。その合ト最終第二回直前に中日が筒井内野手を 解雇したのは叔父・星野阪神SDとの決別の意思表示と理解された。
 オフに一旦解雇されながら"仰木マジック"で復帰した40歳の吉井は6勝をマーク、 リストラの星と称えられた。
 また富岡は三度目の西武入団。同一球団への2度の復帰は珍しい。

 開幕前後には巨人が投手漁りもマレン以外は戦力にならず。 楽天は他球団からの"友情譲渡"をシーズン中も訴え続け、斉藤隆(浜)ら 嘗ての主力選手の移籍も取り沙汰されたが金銭面からも合意に到らず、 唯一獲得出来た沖原を即日レギュラーに登用した。

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