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監督交替劇と身売り騒動に94年以来の日米球界を跨ぐFA市場の活況で話題に事欠かぬオフに。 大砲獲得を狙う横浜は大堀球団社長−森監督の路線で巨人・清原に秋波を送るがFA残留で断念。一転、フロント主導で中日・山崎に方向転換するも、大堀−森ラインは前ロッテの石井に触手を伸ばし、移籍濃厚と見られた山崎は複数年契約で残留も翌年年越しでオリックス移籍と複雑な結末。 一方、この最中にマルハから第二位株主のニッポン放送への球団売却が固まるが、実行委が一旦は了承しながら、スワローズの20%も握るフジサンケイ・グループの2球団支配に巨人・渡辺オーナーが反発。メディア2社への強制売却主(78年末)だった西武・堤オーナーとタッグを組んだが、今回ばかりは強論に利あり。 年が明け漸く第三位のTBSへの売却に落ち着いたが、小宮山は米国に、同じく渡米を画策した谷繁は結局当初予定通りの中日入り。この決定が年末に遅れたため棚曝しにあった中日・中村が移籍を直訴し、結果として捕手同士の交換譲渡の形に追い込まれる等、多難な船出となった新生TBSベイスターズだが最下位、シーズン14試合を残して森監督を解任とゴタゴタ続きで初年度を終えた。 なお中村の調整遅れから3月になって前ロッテの光山も獲得。プエルトリコまで出掛けた執念で5球団目に到達し、更に翌年には韓国ロッテ入りとは見上げた根性ではないか。 不況の波は横浜に留まらず、石毛新監督を迎えたオリックスはFAの田口、加藤、更に契約交渉のもつれからアリアスと投打の主力を気前良く放出。新人14人の獲得で形は整えたが予想に違わずこちらも最下位。最早2リーグ12球団が存続するだけでも良しとすべきということか。 1月には愈々売れる物は全て売る究極のダイエー再建策が発表され、辛くも球団売却は免れたが、福岡野球会社(73〜78年)の悲劇が想い起され、暗い話題は続く。 本来最も暗くなる筈だった、沙知代夫人の逮捕劇から前監督の事実上の解任に到った阪神だが、中日と訣別した星野氏の輸入で反転攻勢、田口こそ取りこぼしたものの、FAで片岡、オリックスからアリアス、首脳陣も田淵の復帰と中日二軍監督に内定していた腹心・島野を故人の遺志まで持ち出して強奪と禍転じて福となす勢い。 前政権下では必至だった藪、坪井の放出も凍結。米国逃亡を図った川尻までもが星野出馬であっさり残留解決と前途洋々開幕を迎え、11連勝から首位を突っ走った。後半戦こそメッキが剥げた感があったが、この戦力補強が翌年の優勝の土台となったのは疑いなく、前オリックス3選手を迎え「中日ブレーブス」と揶揄された後継・山田新監督とは明暗分かれた感。 なおFAに踊った反面トレードは小動きのみ。注目すべきは初の試みとして開催された12球団合同トライアウト(テスト)だが、吉田(近→浜)のみの採用に留まり、翌年は入来兄の渡韓など海外球界からのオファーのみと、事前に行われる各球団の個別テストを凌駕するのは難しいながら何とか定着しつつある。 FAの小宮山、田口、イチローに続く石井の売却、更には巨人を解雇された野村までもが中日、日ハムを袖に米国へと旅立った。一方では中込(前神)、高橋智(前ヤ)ら台湾で捲土重来を期す面々も後を絶たない。一軍外国人選手枠の拡大に伴い蹴球に倣ったレンタル移籍の導入も取り沙汰されるな中、日本球界は国際化と異業種との競合激化にどう立ち向かうのだろうか。 |